書くことを通して

  • by

最近、僕のこのブログを読んでくださっている人から「ブログ読んで印象変わりました」と言われることが立て続いている。別に宣伝もしていないのだけど、意外に読まれているというのだから面白い。

「思っていた以上に人間味があるんですね!」と言われたのだけど、確かに僕の書いている文章の中身や文体は、日々の僕とは少し違った人格がそこにはあるのかもしれない。

それにしても「まだ30代だったんですね」と言われる機会も結構ある。

僕は一体何歳に見えているんだろうか。笑

40何歳に見えているのであれば、とても光栄です。

そういえば僕も20代半ばの若手時代から「30代半ば〜後半」くらいに見られると言われ続けてきた。

見た目もあると思うけれど、「落ち着いている」とか「話し方」とか、そういうのも含めて。

話は戻ってブログを読んでくれている人に向けて、僕が日々どんなことを考えながら文章を書いているかというと、いつも誰か具体的な1人をイメージしながらパソコンに向かっている。

誰かの顔を思い浮かべながら、僕の文章を読んで少しでも元気になってくれたらいいなとか、明日もうちょっと頑張ってみようと思えたらいいなとか、そんなことを考えながら文章を書いている。

別にブログ記事じゃなくても良くて、僕自身が書く文章はどんなものであれ、読む前よりも少しでも元気になってくれたらいいなと。

逆に言えば、誰かの悪口とか、読んで元気がなくなるような内容は書きたくない。

このフラクタルのブログには200記事あまり、もう1つのブログの方には1,000記事以上もの記事があるけれど(それでもだいぶ整理して削ったのだけど)、「よくそんなに書けますね」とも言われるのだけどネタには全く困らない。

今は日々の仕事をたくさんさせてもらっていて、なかなかブログを書く時間を毎日確保するのができないのがもどかしいくらい。

こうしてパソコンに向かって座っていると、次々に今まで出会った人たちの顔や話が浮かんでくる。

結局僕は書くことを通して、今まで関わってくれた人や、見た景色や感じたこと、考えたことを反芻していて、それを文章という形に変換する作業をしているのだと思う。

こうして書くことを通してアウトプットする機会がないと、時々溢れそうになってしまう。

日々、濃密な仕事と生活の中で感じたこと考えたことを転換して外に出さないと、消化しきれなくなってしまうのだ。

僕の文体は柔らかい方だと思う。中身は・・まあ尖っているとも言われるけれど。
なので、比較的文章自体は読みやすいはず。口語調で書くことも多いしね。

コンサルの仕事で作成する資料などというのは、当然論点のアウトプットだから、文章のニュアンスは全く異なる。
けれどできるだけその中に「愛の一滴」を忘れずにありたいなとは思っている。

メールもそうだけど、資料や書類は「読む」というよりは「見て分かる」ということが大事。
ブログで書いている文章は「読む」ことを前提としているけれど、仕事の文章は「見る」だから。そこが一番の違いなんじゃないかな。

いま、フラクタルのHP(とブログ)は絶賛リニューアル中なので、あと数ヶ月くらいではもっと見やすくなると思う。

僕のコンテンツに触れてくれて、また来たい!と思ってもらえるような、そんな場所になったらいいなと思っています。

いつも読んでくださっているあなた、ありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です